読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

井蛙考-とある社会人の備忘録

うわべに見ゆる以上であれ

メモ 片岡徹也編「軍事の事典」(2009)東京堂出版

 

軍事の事典

軍事の事典

 

 片岡徹也(1958~2009)

 その当時権威とされていた典拠に記載された用例を通して、軍事の基礎概念の説明を行い、それにより語の背景にある、矛盾した部分も含めた、思想を浮かび上がらせることを目指した著作

 

 「現在、包括的な戦争の定義を目指して、多種多様な概念が各学問分野から提案されている。だが複雑で変貌を重ねていく戦争に対して、いずれも成功しているとは言い難い。とくに日本においては戦争研究は学問としての市民権をいまだ得ておらず、かといって周辺の社会科学からのアプローチも十分ではない。戦争研究はまだまだ未熟である。戦争を既存の科学の方法論で論じることには限界があり、ときとして誤った方向に、それは導く危険性がある。」18p

 

「いまだに戦争を突き放した立場で研究することは至難の業である。だが戦争が万人に影響し、無意味な戦争が多数の人命浪費につながることを考えれば、戦争研究に冷淡であってはならない。多くの人々が戦争について成熟した判断と知識を持っていればいるほど、健全な意思決定が行われる可能性も高くなることが期待できる。」19p

 

満州事変から支那事変、そして大東亜戦争の敗戦に至るまで、個々の「作戦」はあっても、それらを相関連した一連の戦役と捉える視点のなかったことは、長期的あるいは大局的な視野を欠いた用兵の病原の一つと考える」23p

 

「彼(シュリーフェン)は自らの構想する巨大な第一会戦の勝利が、そのまま本当に戦争の最終的決着につながるのか深刻に検討はしなかったし、この種の「理論的考察」で悩むには、彼は余りにも実践的な軍人であり過ぎた。また彼は「必要なことは実現可能」と考える傲岸なまでの精神主義者であった。これは昭和日本陸軍の用兵思想にも継承されている」35p

 

「だが平成二〇年現在のイラク情勢から見ても、みごとな会戦の勝利が、安定した平和の礎となる、迅速な戦争の終結につながるとは言い難いのである。二一世紀の我々は、いまだに一九世紀末のモルトケを苦しめた難問の解決策を見出していないのである。」37p

 

果たして旧軍に精神教育や軍人倫理と明瞭に区分された本当の意味での「兵学」、すなわちScience of War はあったのだろうか。「兵学」という語事態、いつの間にか旧陸軍の記憶からは消え去り、現在に到るも復活をしていない。・・・戦後間もない昭和二六年、旧陸軍の兵学と用兵思想を反省した文書が作られている。・・・これらの反省の原点にあるのは、ニューギニヤやソロモン、比島等の、補給の途絶した太平洋の島々に将兵を捨て子にして、多くの餓死者を出し、しかも食も戦闘手段もない将兵に降伏を許すことなく、なおも戦うことを要求して、出さずもがなの犠牲者を累積した戦い方、戦わせ方への苦い悔悟である。これは世界に通用する兵学ではない。・・・軍人が任務のために斃れるのは当然だが、任務達成が不可能になった際、麾下の将兵までも犠牲にする戦い方は、世界に通用する普遍性のある「兵学」から見て、きわめて特殊である。」48p

 

「メッケルは・・・日本陸軍の参謀の欠陥として、物事を容易になし得ると妄想することと並び、言語が簡明でないことをあげている」50p

 

「いま、こと改めて日本では絶滅に瀕している「兵術」の語に、なぜ照明を当てるのかといえば、兵術の側面を欠いた計画や理論は、観念の遊戯に堕す危険性があり、それは人命の犠牲を伴わずには済まないからである。」58p

 

今日の戦争においては、専門職である軍人が素人の政治家を説得できるか否かに勝利の鍵はかかっている。・・・平和を願いつつ軍事力を活用するというパラドックスは必ずしも万人が認めるとは限らないが、戦争に内在する予測不可能性を考えれば、戦争を研究する最も良い機会は戦争を行っていない平時なのであり、戦争のパラドックスを理解するための知的な鍵は軍事ないし用兵思想を含む戦争理論である。戦争の研究は一部の専門職だけの問題ではない。」105p

 

先の大戦は単に敵の物量によって敗れたのではない。知的分野においても敗れたのである。それは兵学の未成熟なかんずく戦略理論の未発達、戦略思想の独善によって象徴されている。そこから目をそむけ、日本的な精神要素の加味された道徳と区別のつけにくい戦略論に逃避することはあってはならない。」163p

 

第二次世界大戦大本営はこの「訓令戦術」から見たとき、委ねるべきを現地軍に委ねず数千キロの彼方から硬直した統帥を行っていた点にも問題がある。」235p

 

「現在の日本の「専守防衛」の概念も、このコーベットの論議に従って再定義が可能だと考える。日本は他国から何かを奪うために戦争をするのではなく、自由や民主主義を奪われるのを阻止する消極的な戦争の政治目標によってのみ戦うことを「専守防衛」と定義することも可能ではないか」353p